AF/AEコンパクトフィルムカメラをかつて一般的に「〇〇〇〇〇カメラ」と呼んだ時代があった、という話
またか。
それにしても、言い分がよくわからんのだよな〜。
「純粋な日本」企業だと、何が良いのでしょうか?
イマドキ、企業が「100% Pure Japan」をアピールして何の得になるのかがよくわかりません。
あと、比較広告としてライバル企業とそのCMタレントを差別的表現で貶す手法ですけど、これも何のプラス効果があるのかよくわかりません。
「確信犯め、毎度まいど胸糞悪いわ」
としか僕には思えないのですけど、成功者のやることってのは、常識では計り知れないものがきっとあるのでしょう。
さて、枕はこのくらいにして。
今回はカメラと差別のことについて書きます。
カメラと差別?
今となってはそれぞれ一見全く関係ない、「チコちゃんに叱られる」の唯我独尊ゲームみたいな単語の組み合わせにも思えますが、さにあらず。
コンパクトフィルムカメラがAEを搭載、AFも実現し、フィルムローディングもモーターで自動巻になって「シャッターを押せば写る」機械になったとき、人々はこれを総称して「(五文字)カメラ」と呼んだ時代がありました。五文字=上の記事と同じ侮蔑的表現ね。
これがですね、まずいことに世代男女を問わず普通に使ってたのですよ。
そうだな、90年代くらいまでは。
すっかり忘れていたこの事実を、昨日の記事で思い出してしまいました。
フルマニュアルだった頃は「フィルム一本全く写ってない」なんてこともザラだったカメラが簡単に使えるようになったのはとても便利でいいことなのに、なぜそんな表現で言い表されたのか?いまとなっては全くわかりません。
要は、差別表現であってもその意識が一般に薄く、平たく言えば「日常表現」だったのでしょう。
そんないわばカメラの「黒歴史」ともいうべき呼び名は、コンパクトフィルムカメラの終焉とともにすっかり姿を消し、今やその呼び方をする人もいなければ、恐らくそう呼ばれていたことさえ知らない人も多くいると思います。もちろん「カメラ年表」みたいなものにも載らないし、このまま語らずにいれば死語どころか消滅するかもしれません。
ただし、表向きは消えたようでいながら、本当の意味で人々の意識から差別が解消するなんてあるのかい?と、今回の「やけくそクジ」が重苦しい問いを突きつけてきた気がしました。
こんなにあからさまな形で。
くっそー!
ちなみにだな、サントリー(ウェルネスじゃないけど)さんはカメラをこう活用してマーケティングを怠らないのだ。
売れる、売れないをそんな暴論で片付けなさんな。
蛇足ながら、AE/AFフィルム一眼レフには最後までその名はつきませんでした。ということは即ち、コンパクトカメラを下に置くヒエラルキー思想がその当時のカメラユーザーにあったということです。
昔も今も「機材マウント」はあるのですよね…ヤダヤダ。
趣味の写真くらい、平和に行こうぜ。